【1276年ぶりの里帰りって?】八幡神帰還の記録を辿る歴史物語解説
「1276年ぶり」東大寺の大仏建立を見守った神様の歴史的里帰り

令和7年10月、東大寺を守護する手向山八幡宮の八幡神が1276年ぶりに故郷の宇佐神宮へ里帰りをしました。
奈良時代の大仏建立に深く関わったとされる神様の歴史的な帰還について、奈良の大仏や宇佐神宮についての解説を交えながら、詳しく見ていきます。

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賃貸専門家:古川 真史
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奈良在住25年以上。宅地建物取引士・賃貸経営管理士の資格保有。ルームアドバイザーとしてのキャリア18年以上の大ベテラン。不動産賃貸の関連はすべて媒介経験あり。奈良出身ではないのに奈良まほろばソムリエ検定(奈良通1級)取得する奈良への溺愛っぷり。奈良マニアの古川より独自な目線で賃貸情報を多数お届けします。


「奈良の大仏さん」について

「奈良の大仏さん」として親しまれる東大寺の大仏。
正式な名前は「東大寺盧舎那仏像」(とうだいじるしゃなぶつぞう)といいます。
高さ約15メートルの圧倒的スケールとその穏やかな表情は、大仏殿に入ったことのある方ならば誰しも忘れられないものでしょう。この東大寺の大仏が造られたのは奈良時代のこと。
疫病が蔓延し政治的混乱も起こるなかで、聖武天皇は人々の心に安らぎをもたらすようにと大仏の建立をスタートさせました。
わかりやすく言えば、国家プロジェクトだったのです。
天平15年(743年)に造像が発願され、2年後の天平17年(745年)より準備開始。
そこからさらに7年後の天平勝宝4年(752年)、開眼供養会が行われついに完成を迎えました。
銅を約500トン、金を約0.4トン、すずを約8.5トン、水銀を約2.5トン使用し、のべ260万人が関わったとされる一大事業でした。
しかし、大仏の歩む現在までの道のりは平坦ではありませんでした。
治承4年(1180年)と永禄10年(1567年)の2度、戦火によって大仏殿が消失。
大仏そのものも大きく損傷しました。
戦火にみまわれるたび時の権力者の支援で再興がなされており、現存している大仏は体の大部分が鎌倉時代の補修、頭部は江戸時代の補修となっています。
創建当時のおすがたではありませんが、それゆえに歴史の重みや深みを感じさせてくれます。
宇佐神宮と八幡神の分祀について

宇佐神宮は大分県宇佐市にある神社で、全国に4万社以上ある八幡社の総本宮として全国的に知られています。
本殿は国宝に指定され、現在も多くの参拝者が訪れます。
宇佐神宮の歴史は古く、欽明天皇の時代(571年)に八幡神の託宣があったことがはじまりとされています。
八幡神は応神天皇と同一視される神様で、もとは九州の地域神でしたが、武神・国家守護の神として朝廷からも篤く信仰されるようになっていきました。
さて、この宇佐神宮とその祭神である八幡神が、東大寺の大仏建立に深く関わります。
聖武天皇は国家プロジェクトとして大仏の建立を計画していましたが、膨大な費用を使うことによる貴族の反対など、懸念もありました。
そんなとき、宇佐神宮の八幡神より
「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交えて障ることなくなさん」という託宣――
すなわちお告げが出されたのです。
これは、天の神・地の神を率いて我が身をなげうち東大寺の建立を必ずや成功させるという、神からのあまりに心強い協力の意思表示でした。
大仏建立に関する八幡神の力を示すエピソードとして、建立に必要な銅や金が不足していたところ、八幡神の託宣通りに発見されたという話が伝わっています。
そうして天平勝宝元年(749年)12月、八幡神は大神杜女(おおがのもりめ)という女性の神官を依代として、紫の輿(こし)に乗って東大寺へと向かいました。
東大寺では大仏の鋳造作業が行われた直後のことでした。
ちなみに紫の輿というのは天皇の乗る非常に高貴なもので、これに八幡神が乗ったことが神輿の始まりとされています。
東大寺に着いた八幡神は聖武太上天皇(だいじょうてんのう・譲位した天皇のこと)、考謙天皇らに迎えられ、大仏建立を守護する存在となりました。
そして大仏完成後は東大寺を護る神として、近くの手向山(たむけやま)八幡宮に分祀されました。
分祀というのは本社と同じ祭神を、新設した神社でも祀ることです。
一連のエピソードは、神道の神が仏教に関する大事業に関わるという、神仏習合においても重要なものとして知られています。
八幡宮が分祀された手向山八幡宮は現在も東大寺の東側に鎮座し、寺を守護し続けています。


歴史的里帰りの実現

さて、令和7年(2025年)10月26日、つまり今年、歴史的な行事が執り行われました。
奈良の手向山八幡宮から大分の宇佐神宮へ、八幡神の里帰りです。
手向山八幡宮に分祀された八幡神が宇佐の地へ帰るのは天平勝宝元年(749年)以来のこと。
実に1276年ぶりの里帰りというわけです。
今回の里帰りは、今年が宇佐神宮の御鎮座1300年というタイミングであることから実現しました。
さらにその背景には平成14年(2002年)10月に東大寺で行われた「宇佐八幡神輿(みこし)フェスタ」があります。
このとき宇佐に住む約500人が宇佐神宮の神輿とともに東大寺を参拝し、そこから奈良市と宇佐市との交流が深まり、この歴史的な一幕につながったのです。
そして里帰り当日「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれる神輿に乗った八幡神が宇佐の地を訪れました。
手向山八幡宮の神職や神輿の担ぎ手、雅楽を演奏する楽人ら約80人が参加し、黒漆塗りの骨組みを紫の錦で包んだ御鳳輦を運びました。
この神輿は平安時代に製作されたとされる国の重要文化財を精巧に模したもので、頂に金色の鳳凰の輝く、高さ約2.4メートル・幅約1.2メートルの堂々たる姿でした。
一行は宇佐神宮御鎮座1300年の記念行事として初開催された「古代宇佐時代祭」の行列に加わり多くの見物客を魅了した後、宇佐神宮にて感謝の祝詞(のりと)をあげました。
1276年ぶりに実現した里帰り。
1日限りのことですが、まぎれもなく歴史の1ページが刻まれた瞬間であり、奈良そして宇佐の方々にとっても大きなことでした。
まとめ~現代に生きる願いやつながり~

いかがでしたでしょうか。
今回は東大寺の大仏建立に深く関わった神様の里帰りの話題でした。
1276年ぶりの里帰りの実現は、地域間の交流の積み重ねが実を結んだ成果であり、歴史的遺産を活かして文化を継承していく、その良い事例となったといえます。
今回のことを通じ、大仏建立とそれにまつわる出来事をたどると、古代の人々の平和と安らかな暮らしへの強い願いが見えてきます。
それは、現代を生きる私たちにも共通するものではないでしょうか。
神様を介した奈良と宇佐のつながり。
それは時を経た今も確かにここにあることを、この里帰りは示してくれたように思います。


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