【奈良で生まれた日本初の公開図書館!】芸亭について知ろう

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【日本最初の公開図書館!】芸亭について知ろう


【日本最初の公開図書館!】芸亭について知ろう


芸亭(うんてい)は、奈良時代につくられ平城京内にかつてあった「日本最初の公開図書館」と言える施設です。


一体どのような施設だったのか。


芸亭をつくった文人・石上宅嗣(いそのかみのかやつぐ)についてもクローズアップし、詳しく解説していきます。



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    賃貸専門家:安達竜哉

    資   格:宅地建物取引士・賃貸不動産経営管理士

  • 賃貸不動産経営管理士の資格保有。特技は少林寺拳法とお部屋探し。奈良の不動産業界で10年以上、単身からファミリーの方など、年間で200部屋以上の仲介実績。特に奈良市内のマンション名を出して貰えれば殆どわかる自信あり。奈良市の賃貸事情に詳しい安達による、暮らしに関するお役立ち情報をお届け。

  • 目次:【奈良で生まれた日本初の公開図書館!】芸亭について知ろう
    ・芸亭ってどんなところ? ・石上宅嗣と芸亭 ・ちなみに…… ・まとめ~新大宮周辺に住むなら~


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    芸亭ってどんなところ?


    芸亭ってどんなところ?


    奈良市のやや北西部、官公庁街のある近鉄奈良線・新大宮駅から北へ行くこと800メートル。


    奈良市立一条高校の敷地東側の国道24号線沿いに一本の碑が建てられています。


    碑文にはこう書かれています。


    「日本最初の公開図書館 芸亭(うんてい)伝承地」


    芸亭――別名を芸亭院とも言い、奈良時代末期の文人・石上宅嗣によって建てられた施設と伝えられています。


    正三位大納言という地位にまで昇りつめた高官である一方で熱心な仏教信者であり、たいへんな知識人でもあった宅嗣は、晩年に平城京にあったみずからの旧邸宅を阿閦寺(あしゅくじ)として改築し、その一角に設けた書庫を一般に公開し、希望者が自由に閲覧できるようにしました。


    これが芸亭のはじまりとされています。


    芸亭がつくられる前、8世紀の初めごろにも国家の蔵書が集められた「図書寮」という役人向けのクローズドな施設はありましたが、蔵書を一般公開するというのは芸亭以前には前例がなく、画期的なことでした。


    芸亭には宅嗣が収集した古今の仏典や儒教に関する書物など漢籍(漢文で書かれた中国の書物)を中心に集められており、のちに漢学者として大成する賀陽豊年(かやのとよとし)など、熱心に通い学ぶ者たちがいました。


    日本最古の僧伝『延暦僧録』によると、芸亭の一角には小山や池がつくられ竹や花が植えられた庭園があったそうで、ただ蔵書が集められ閲覧ができる場という以上の意味合いと趣を持っていたことがうかがい知れます。


    宅嗣は天応元年(781年)に亡くなりましたが芸亭はその後も存続し、9世紀の初め頃までは続いていたとみられています。


    弘法大師として知られる高僧・空海が天長5年(829年)に書いた『綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)式』には芸亭について、「始めありて終りなく、人去って跡あれたり」との記述があり、天長5年当時にはもう芸亭は無くなっていたことがわかります。


    宅嗣が亡くなった数年後の延暦3年(784年)に都は長岡京へと移り、さらに延暦13年(794年)には平安京へと移りました。


    藤原氏など他の貴族が権力を握って台頭するようになり、名門であった石上氏の力も次第に弱くなってゆきました。


    そんな避けることのできない時代の移り変わりのなかで、芸亭もまた、廃れゆく運命を歩むこととなったのでしょう。


    しかし『綜芸種智院式』にて空海は、自身が開いた庶民のための私立学校・綜芸種智院の先駆となった存在として芸亭(と、吉備真備の「二教院」)の名を挙げています。


    日本最初の公開図書館という画期的な存在が当時の好学の徒たちにもたらしたものは、決して小さいものではなかったようです。






    石上宅嗣と芸亭


    石上宅嗣と芸亭


    それでは日本最初の公開図書館・芸亭をつくった石上宅嗣とは一体どういう人物だったのでしょうか。


    まず石上氏というのは、古代日本で大きな力を持っていた豪族・物部(もののべ)氏の末裔です。


    いわばエリートの血筋であり、祖父・石上麻呂(まろ)宅嗣のは左大臣、父である石上乙麻呂(おとまろ)は中納言を務めるなど国の要職に名を連ねていました。


    宅嗣自身も非常に頭の回転が速く、また、容姿も恵まれていたと伝えられています。


    地方官を歴任し、天平宝字5年(761年)には遣唐副使に任命されるも唐に渡ることのないまま翌年に辞任(理由は不明)。


    その翌年には時の権力者・藤原仲麻呂(なかまろ)を除こうと藤原良継(よしつぐ)・佐伯今毛人(さえきのいまえみし)・大伴家持(おおとものやかもち)らと共謀するも失敗し左遷されてしまいますが、天平宝字8年(764年)に仲麻呂の失脚にともない復権。


    その後は順調に昇進を重ねてゆき数々の要職を歴任、ついには正三位大納言の座にまで昇りつめました。


    宅嗣が53歳で亡くなったのちにはその功績をたたえ、正二位の位階が贈られました。


    このように国の高官として華々しい経歴をもつ宅嗣は、それと同時に仏道に通じ、また儒教の経典や歴史書を愛し文章をつくることを好む文化人でもありました。


    草書や隷書を書くことにも長け、よい風景に出会うとそれを主題にを詠み著したそうです。


    おだやかで雅やかな言葉づかいや振る舞いで知られ、奈良時代の後半には淡海三船(みふねのおうみ)とともに文人の筆頭と称されていました。


    宅嗣の作品は広く世間に伝わり詠まれるとともに、平安時代初期につくられた勅撰漢詩集『経国集』にも収められています。


    そんな名の知れた文化人・知識人であった宅嗣が芸亭という知の集まる場をつくったのも何となくうなずけますね。


    『日本書紀』に次ぐ歴史書、『続日本紀』(しょくにほんぎ)の巻第三十六・天応元年(781年)6月24日の条には、宅嗣自身が芸亭について言及した文が転載され記されています。


    「内外の両門は本一体たり。漸く極まれば異なるに似たれども善く誘ければ殊らず。僕、家を捨て寺と為して心を帰すること久し。内典を助けんが為に外書を加え置く。地はこれ伽藍、事すべからく禁戒すべ

    し。庶くば、同志を以て入る者は空有に滞ることなく、兼ねて物我を忘れ、異代来たらん者は塵労を超出して覚地に帰せんことを」(読み下し文)


    仏教も儒教も違いはあれど根本は同じであり、よく導けば異なる道ではないこと。


    仏教の教えの理解を助けるために儒教などの本も一緒に置いたこと。


    ここは寺であり、何事も禁じ戒めるべき修行の場であること。


    願わくば、自分と同じ志を持ってここへ来た者には物事の実体のあるなしにとらわれることなく、また己の欲望を忘れ、次の世代の者には世俗を超越して真理に辿り着いてほしいということ。


    宅嗣の思いがつづられています。


    書物というものがとても貴重だった奈良時代にあって、自身の蔵書を一般公開し閲覧させる場をつくりあげたのは、このように並々ならぬ思いがあったからなのでしょう。


    現在、かつて芸亭のあったとされる場所に立っている碑は、そんな宅嗣の芸亭に託した思いが今に生かされるよう願って建てられたものです。







    ちなみに……


    ちなみに……


    芸亭の名前に使われている「芸」(ウン)の字。


    我々がよく知っている「芸術」や「芸能」という言葉に使われる「芸」(ゲイ)の字とまったく同じに見えますね。


    でもこれ、別の字なんです!


    たしかに芸(ウン)も芸(ゲイ)も字の形こそ同じではあります。


    が、おのおの違うルーツと意味を持った別の漢字で、たまたま同じ形になってしまっただけなのです。


    もともと「雑草を刈る」という意味をもつ芸(ウン)という字が先にありました。


    そして「習って身につけた技」という意味の「ゲイ」という字はかつて「藝」という形でした。


    昭和21年(1946年)に内閣によって制定された当用漢字において、難しい字体の漢字が幾つも簡略化されることになりました。


    そのなかに「藝」の字も含まれていたのです。


    こうして「藝」の字は改められ、「芸」と表記されるようになりました。


    それが、もともとあった芸(ウン)の字と衝突してしまうことになったのです(同形衝突と言います)。


    芸亭という字を見たときに「芸能に関係あるの?」と思われた方も多いと思いますが、まったくの無関係です。






    まとめ~新大宮周辺に住むなら~


    まとめ~新大宮周辺に住むなら~


    いかがでしたでしょうか。


    今回は日本最初の公開図書館・芸亭について見ていきました。


    残念ながら現存する施設ではありませんが、知そして真理を探求する人々がかつて集った場所に思いを馳せてみるのも良いかもしれません。


    記念碑の立つ近鉄新大宮駅周辺は平城宮跡などの歴史的建造物がたくさんありつつ、商業施設や役所なども揃っており生活のしやすい地域です。


    もちろん周辺に賃貸住宅もありますので、このエリア周辺でのお部屋探しなら「賃貸のマサキ」にどうぞお任せください。




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