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担当者:安達竜哉
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【日本最古の歴史】帯解寺の魅力とは?
奈良市南東部にある寺院・帯解寺は日本最古の安産祈願のお寺として古来より参拝者の絶えないスポットです。
この帯解寺がなぜそのような由緒を持ち、広く知られるようになったのでしょうか。
お寺に伝わる歴史や見どころについても詳しく解説していきます。
帯解寺ってどんなところ?
帯解寺(子安山 帯解寺)は奈良県奈良市の南東部・今市町にある華厳宗の寺院です。
JR万葉まほろば線(桜井線)「帯解」駅から北へ徒歩5分のところに位置しています。
寺伝によると、かの有名な僧侶・弘法大師(空海)の師として知られる、勤操大徳(ごんそうだいとく)によって開かれたたくさんのお寺(巖渕千坊)のうちのひとつで、もともとは霊松庵という名前でした。
帯解寺と名前が改められたのは平安時代にあたる天安2年(858年)、当時の文徳天皇の勅願によるものであったそうです。
立派な山門をもち、本堂の建物じたいは安政5年(1858年)に再建されたものではありますが、堂々としたたたずまいをしています。
ご本尊は鎌倉時代につくられた木造地蔵菩薩半跏像(帯解子安地蔵菩薩)で、国の重要文化財に指定されています。
ほかにも市指定文化財の指定を受けている室町時代の絵画・春日赤童子画像をはじめ、いくつもの歴史ある文化財・仏像を所蔵しています。
この由緒正しいお寺が古くより信仰をあつめ、現在もなお若い夫婦をはじめとする多くの参拝者が絶えず訪れるのには大きな理由があります。
子安山という山号からもわかる通り、帯解寺は安産祈願で広く知られたスポットなのです。
それも、日本最古の安産祈願のお寺として。
日本最古の安産祈願スポット・帯解寺の歴史!
先ほど書いた通り、帯解寺のルーツは勤操大徳の開いた霊松庵だとされています。
それが天安2年、文徳天皇の勅願によって帯解寺と名を改めるに至ったのには、次のようなエピソードが伝えられています。
平安時代初期、第55代文徳天皇の御妃・染殿皇后(藤原明子)が長らくのあいだ世継ぎとなる子に恵まれず悩んでおられた折、祖神である春日明神のお告げを受けられました。
さっそく皇后はお告げに従い勅使を立てられ、霊松庵の地蔵菩薩・帯解子安地蔵菩薩にお祈りをされたところ、まもなくご懐妊なさり、惟仁親王(のちの清和天皇)をお産みになられました。
これをたいへんお喜びになった文徳天皇は天安2年の春、霊松庵の伽藍を新たに建立され、寺号を改める勅命を出されました。
無事に腹帯が解けた(=安産の願いが叶った)寺――「帯解寺」と。
こうして生まれた帯解寺は、以来、安産祈願・子授け祈願のお寺として、身分を問わず多くの人々の信仰を集めるようになったというお話です。
そして時は流れ、江戸時代には、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠公の正室・崇源院(お江の方)になかなか世継ぎとなる子が生まれなかったので帯解寺にて安産祈願をされたところ、めでたく竹千代丸(のちの第3代将軍・徳川家光公)をご安産されました。
さらにその家光公も同じく世継ぎがなかなか生まれず、側室である御楽の方が帯解寺にて安産祈願をされ、のちの第4代将軍・徳川家綱公をお産みになったとのことです。
家綱公がお生まれになった際さまざまな瑞祥(ずいしょう=めでたいしるし)があったことから、家光公は瑞祥記を寺に贈られ、誕生釈迦仏などの仏像仏具を寄進されました。
また、寛文3年(1663年)には家綱公から手水鉢の寄進がありました。
幾度か兵火や天災に見舞われた帯解寺がいまも立派な姿で残っているのは、徳川家の手厚い保護があってのことです。
20世紀に入ってからは、美智子妃殿下(昭和34年7月当時)や雅子妃殿下(平成13年6月当時)をはじめ、数々の皇族に連なる方が帯解寺にて安産祈願をされており、皇室ゆかりのお寺としても知られるようになりました。
このように、古代から現代へ連なるとても長くて深い歴史を持っている帯解寺。
安産を願う人々の足が絶えないのもうなずけますね。
帯解寺の見どころを紹介!
帯解寺のいちばんの見どころは、なんといっても安産の象徴としてのご本尊・木造地蔵菩薩半跏像でしょう。
ヒノキの寄木造りで188センチメートルもの高さを持つこの座像は、妊婦が巻く腹帯を連想させる結び紐がお腹の前にあり、腹帯地蔵とも呼ばれています。
このご本尊にお参りをすると安産のご利益があると言い伝えられ、12日に1度来る戌の日にはとくに多くの参拝者が訪れます(戌=犬は安産の守り神とされているため)。
寺院が行う安産のご祈祷も、このご本尊の前で行われます。
毎年7月23日・24日には帯解子安地蔵会式の大法要が開かれ、紅白の岩田帯を持った行列が町中を練り歩いたのちご本尊にその帯をお供えして安産などを願うという一大行事となっており、この日はたくさんの屋台が立ち並び様々な催しが行われる盛大なお祭りにもなっています(2020年は中止)。
ご本尊以外にも貴重な仏像・仏画がいくつも帯解寺にはあり、秘仏・秘宝として普段は非公開とされていますが、毎年春と秋に行われる特別公開の際にはそれらを拝観することができます。
不動明王坐像(平安時代)、虚空蔵菩薩坐像(鎌倉時代)、春日赤童子画像(室町時代)、三面六臂大黒天立像(室町時代)、愛染明王坐像(江戸時代)、誕生釈迦仏(江戸時代)など、ふだん見ることのできない数々の文化財を目にするチャンスは見のがせません。
また意外な見どころとしては、六歌仙・三十六歌仙のひとりとして知られ、世界三大美人にも数えられる平安時代前期の女流歌人・小野小町とのゆかりも伝えられています。
小野小町は、伝染病の平癒祈願や恋人であった僧正遍昭との逢瀬の際にたびたび帯解寺を訪れていたことが伝えられており、江戸時代初期刊行の『南都名所集』によると、小町が亡くなったのち彼女を偲び、お寺の境内に小町の宮が建立されたそうです。
現在、小町の宮はもうありませんが、その跡地に石碑が建立され(平成14年)、平成18年には一刀彫りの小町人形が納められた小町の祠が新たにつくられました。
毎年4月24日には小野小町を偲び、参拝する人々が心の美しい人となり幸せに生きられるようにと「小野小町忌」の法要が行われています(2020年は中止)。
そのほかにも徳川家綱公寄進の手水鉢や、春には桜の美しい十三重の塔、2008年に新しくつくられた新御堂など、帯解寺は数多くの見どころを備えています。
まとめ~帯解寺周辺に住むなら~
いかがでしたでしょうか。
今回は日本最高の安産祈願スポットと言われる帯解寺について見ていきました。
神社仏閣めぐりには欠かせない御朱印や、可愛らしい犬がデザインされたお守り・手ぬぐいなどのグッズも手に入れることができますし、安産祈願のみならず縁結び・厄除けのご利益も伝えられるお寺ですので、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
数々の催し、四季を通じて移ろいゆく姿、たびたび足を運びたくなる魅力にも気づくことでしょう。
周辺の静かな住環境と、奈良市内中心部へのアクセスの良さも非常に大きなポイントです。
もちろん周辺に賃貸住宅もありますので、このエリア周辺でのお部屋探しなら「賃貸のマサキ」にどうぞお任せください。
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