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担当者:古川真史
【奈良に住んで20年】奈良を誰よりも愛し続ける奈良ヲタク。人気グルメから人口や歴史、鹿の生息数。何でも答えます。最近は大仏プリン推し。
水分神社ってどんな神社?
吉野や都祁、宇陀などにある「水分神社」という名の神社があるのをご存知でしょうか。
この神社の名前ですが、「水分」と書いて「みくまり」と読みます。
水分神社は奈良県、大阪府または北陸地方でみられ、他の地方ではほとんど見かけません。
その理由には古来からの地形や、民の願いが関係しています。
ここでは、「水分神社」とはどんな神社なのかについてや、奈良県内にある4つの水分神社(吉野、宇太、都祁、葛木)の歴史と見どころを紹介します。
水分神社とは?
「みくまり」とは「水分 = 水配り」と言う意味をもち、水分神社とは流水を分かち配ることを司る神「天之水分神(あめのみくまりのかみ)」を祀っている神社のことです。
(「ブリタニカ国際大百科事典小項目事典」より)
昔から奈良は、奈良盆地という地形の関係上、雨が少なければ干ばつに悩まされ、雨が多ければ水害に悩まされてきました。
「米一升、水一升」とも言われるほど水は大切にされてきましたが、かといって多すぎても水害を招いてしまいます。
このような背景から、水の配分を司る神が大事にされてきました。
そんな水分神が東西南北に鎮座するように祀られている神社が宇太水分神社、葛木水分神社、吉野水分神社、都祁水分神社の4つです。
それぞれ水分神とゆかりの神を祀っています。
なかでも世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている吉野水分神社はご存知の方が少なくないかもしれませんね。
また、水分神社にはもうひとつの信仰があります。
それぞれの神社が創建された後、時は流れて平安時代中期、「みくまり」=「みこもり」と読み、「身ごもり」=子授けや子どもを守り育てる神としても信仰されるようになりました。
歴史上の有名人の子授けエピソードも複数残されています。
奈良県には4つの水分神社がある
ここからは先ほどご紹介した4つの水分神社―――吉野水分神社、宇太水分神社、都祁水分神社、葛木水分神社について紹介します。
世界遺産に指定、吉野水分神社
千本桜として有名な吉野山上千本にある水分神社です。
もともとは音無川、秋野川、丹生川、象川(喜佐川)の4つの川の分水嶺として青根ケ峯に鎮座していました。
いつ創建されたのかは不明ですが、万葉集に吉野の水分が信仰されていたかのような歌が読まれていることや、「続日本紀」に「旨を奉り雨乞いをした」という記述が残っていることから、奈良時代にはすでに存在していたと考えられます。
平安時代中期ごろからは子守明神とも呼ばれるようになり、「御堂関白記」や「枕草子」にもそのような記述が残っています。
後世には豊臣秀吉も子授け祈願に訪れ、秀頼を授かった、「古事記伝」を著した本居宣長も自身が水分神社により授かった子であると自身の記録にも残していると伝えられています。
授かったことへのお礼でしょうか、本殿・拝殿・弊殿・楼門・回廊は1605年に豊臣秀頼によって再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
特に朱塗りで2階建て屋根付きの楼門は、桜や新緑、紅葉や真っ白の雪が朱色とのコントラストが美しく、インスタ映えする人気スポットとなっています。
また、境内のしだれ桜も有名です。
毎年4月3日には吉野水分神社にて「御田植祭」と言う五穀豊穣を願う祭が行われ、例年吉野山に春を告げる祭事として親しまれています。
拝観料は無料で、近鉄吉野駅からロープウェーに乗り吉野山駅下車、徒歩約1時間30分とまさにハイキングコースですが、安土桃山時代の社殿や国宝である木造玉依姫命坐像などもあり、見応えは充分。
ちなみに玉依姫命の御神像は日本第一の美女神像と言われているそうです。
神社自体も山奥にひっそりと鎮座しているので、ハイキングや他の世界遺産見学のついでに訪れてみる、というのがおすすめです。
車で訪れるのも可能ですが、駐車場が二台分と少ないため注意。
もっとも水分信仰が盛ん、宇太水分神社
宇陀市菟田野にある水分神社です。
宇陀川・芳野川の分水嶺として高見山に鎮座していますが、宇太水分神社は三社あり、おおもとの神社がどれなのかは諸説あります。
そしてその三社ですが、上芳野にある総社の上社、古市場にある中流の中社、下井足にある下流の下社となります。
詳しい創建時期は不明ですが、崇神天皇の時代からあるとされています。
崇神天皇の時代と言えばほぼ古墳時代から飛鳥時代あたり。歴史の古さを感じさせます。
10月の第3日曜日に例年開催される「菟田野みくまり祭」では、上社の神・速秋津姫命(はやあきつひめのみこと・女性の神)が神輿に乗って中社の神・速秋津彦命(はやあきつひこのみこと・男性の神)に逢瀬に行くと言われています。
境内には夫婦杉と呼ばれる二股に割れた大きな杉の木があり、神輿をそこに着座させると逢瀬が始まる、とのことです。
このような祭事があるので、この神社では夫婦円満・縁結びなどのご利益があるとも言われています。
また、病の平癒にもご利益があり、社殿の後ろにある御神水はかつて推古天皇が薬狩りの際、身を清めるのに利用されたとされています。
このようなエピソードがあることから服薬の際、この御神水を飲むといいと言われています。
アクセスは近鉄榛原駅から宇多野方面行のバスにて古市場水分神社前下車徒歩3分。
車の場合は無料駐車場10台分があります。
大和川の源流を司る、都祁水分神社
奈良市都祁にある水分神社です。
大和高原から流れ出す木津川上流の布目川、大和川上流の初瀬川の水を司る神であり、もともとは現在の都祁山口神社の場所にありました。
創建年は不明ですが飛鳥時代ではないかとされています。
伊勢国からきた修行者が持参していた霊水が白竜となり飛昇、うちのひとつが都祁の地に降り立ち、都祁水分神となった…という伝説が残されています。
その後、中世期にはその場所は荘園となり、開発が進むとともに未来前の神の信仰を集めるようになりました。
その後現在の場所に本殿を建立したため、現在の場所になりました。
この時建立された本殿は国の重要文化財に指定されています。
重要文化財と言えば、狛犬にも注目です。
本殿前左右に石造りの狛犬がありますが、一般的に知られる狛犬よりも頭が小さい作りになっています。
この狛犬は鎌倉時代末期の作と推定され早期の狛犬の秀作として注目されているとのことで、重要文化財に指定されています。
アクセスは基本、車となります。
名阪国道針インターより約10分。
近鉄榛原駅からバスもあります。
針インター行バスにて「並松」下車、徒歩10分。運行時間に注意。
水分神社のうち唯一の名神大社指定、葛木水分神社
奈良県御所市関屋にある水分神社です。
水越峠あたりに鎮座し、金剛山や葛城山の水を司っています。
葛城山・金剛山の水源は古くから朝廷より特に重要視され、4つある水分神社のうち、この葛木水分神社のみが名神大社(名神祭という、国家的な事変が起こり解決を祈願するための祭祀が行われる神社)に列せられていることや、水分神社がある水越峠の反対側となる大阪府千早赤阪村に建水分神社鎮座していることから伺えます。
江戸時代には、この水源の水を巡って、大和国と河内国で争いが起こったことがあります。
「元禄水論」という事件で、結果、大和国側が勝利しました。
この時の勝訴記念に石灯籠が奉納され、勝訴した12月20日を例祭日としています。
この水源を守ることが住民たちの死活問題であったことがうかがえます。
アクセスは近鉄御所駅から車で約20分。
【水分神社(みくまりじんじゃ)ってどんな神社?】まとめ
以上、「水分神社ってどんな神社なのか」についてと、奈良にある4つの水分神社について解説させていただきました。
それぞれの神社を調べてみると、同じ水分神社と言っても、個々の神社で刻まれた歴史が、その神社の個性を育てていったことがよくわかります。
そして、雨ごいや水配りだけでなく、私たちにももっと身近な「子守」や「縁結び」「夫婦円満」などのご利益があるとも言われるようになった神社もありましたね。
機会があればぜひ訪れてほしい神社がまた増えました。
訪れる際はハイキングスタイルがおススメです。
【参考文献】
・「意外な歴史の謎を発見!奈良の『隠れ名所』」奈良まほろばソムリエの会 実業之日本社
・「奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブック」奈良商工会議所編 網干善教監修 山と渓谷社
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