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【奈良県は野球グラブの一大産地!】三宅町におけるグラブ生産の歴史

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カテゴリ:暮らしや街の情報
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  • 担当者:古川真史

    【奈良に住んで20年】奈良を誰よりも愛し続ける奈良ヲタク。人気グルメから人口や歴史、鹿の生息数。何でも答えます。最近は大仏プリン推し。


【奈良の地場産業】なぜ?奈良県は野球グラブの一大産地


【奈良の地場産業】なぜ?奈良県は野球グラブの一大産地


奈良県は全国有数の野球グラブの生産量を誇る土地です。


どうして奈良でグラブ作りが伝統と言えるまで盛んになったのでしょうか。


『野球グラブの町』三宅町におけるグラブ生産の歴史を中心に、地場産業としての今後の展望なども含めて詳しく解説していきます。





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奈良県のグラブ作り 最盛期は国内シェア9割!


奈良県のグラブ作り 最盛期は国内シェア9割!


奈良県で盛んな地場産業といえば何が思い浮かびますか?


紳士靴・サンダルなどの履き物や毛皮・革製品――奈良県内で活発な産業は様々ありますが、スポーツ用品、とくに野球用具の生産は全国のなかでも盛んです。


経済産業省『工業統計』からデータを抜き出してみると、平成25年(2013)年~平成28年(2016年)の野球用具(ソフトボール用具も含む)の1年あたりの生産額は、大阪府と兵庫県に次いで奈良県が全国3番目となっています。


そんな野球用具のなかでもとりわけ、奈良県が国内で長年高いシェアを占めている分野があります。


それはグラブです。


奈良県では古くから野球グラブ作りが地場産業として根づいていて、最盛期の1970年ごろにはなんと生産量において国内シェア9割をも誇っていたというから驚きです!


そんな奈良県でのグラブ作りがもっとも盛んなのが三宅町。


県内で最も小さい市町村であり、町としては全国でも2番目に小さい三宅町がどうして野球グラブの一大産地となったのでしょうか。


その歴史をひも解いていきましょう。






野球グラブの町・三宅町


野球グラブの町・三宅町


三宅町で野球グラブの生産が盛んに行われるきっかけとなったのが坂下徳治郎という人。


この人が最初にグラブ製造の技術を町へ持ちこんだと言われています。


明治35年(1902年)に三宅町で生まれた坂本は、大阪で義兄の見習いとして皮革関連の技術を習得していきました。


そこで美津濃運動具店(現・ミズノ)から野球グラブに使う革の裁断を依頼された坂本は、これを作る仕事を始めたい考えグラブを解体、仲間を集めて作り方を徹底的に研究し、地元である三宅町に戻り大正10年(1921年)2月頃から生産をスタートさせました。


三宅町でのグラブ作りは最初のうちこそ数軒ほどの製造業者しかなく細々としたものでしたが、戦後になって野球人口が増大したことによりグラブ需要も拡大、独立する職人さんも次々と現れ製造が活発になっていきました。


さらにアメリカのメーカーからも注文を受けるようになり、昭和31年(1956年)から本格的に対外輸出がスタート。


当初は年間165万個ほどだった輸出量は昭和45年(1970年)には587万個と急成長。


生産業者数は飛躍的に増えていき、小さな町に全国から労働者が集まってくるようになりました。


その頃には全国生産量の6割のグラブが三宅町で製造されており、町の駅は通勤する職人さんでごった返し工場は毎日朝早くから夜遅くまで稼働し続けていたそうです。


同じく県内の主産地であった河合町や桜井市も合わせた奈良県全体としては全国生産量の9割をも占めている状態でした。


最盛期の三宅町はまさに『野球グラブの町』と呼ぶにふさわしい様相だったのです。






訪れる暗雲、そして光明


訪れる暗雲、そして光明


ですがそこから一転、暗雲が訪れます。


昭和46年(1971年)のニクソン・ショックをきっかけに先進各国は昭和48年(1973年)に変動相場制に移行、日本もまたその流れに乗ります。


これが国内のグラブ生産に大打撃を与えることになりました。


1ドル=360円の相場が崩れたことで、アメリカにおける野球グラブの主な輸入先は日本よりも価格の安い台湾や韓国に取って代わり国内生産量は一気に減少。


もちろん奈良県そして三宅町も例外ではありませんでした。


ブランド力のある国内メーカーの主な生産拠点も海外に移行していったため受注が落ち込み、町の業者は後継ぎが育たず高齢化が進み次々と廃業していきます。


最盛期には120軒ほどあった業者は今では20軒ないくらいにまで減少しました。


とはいえグラブ作りの町としての三宅町、そしてそこを中心とした奈良県の誇る地場産業の火がこれで消えたわけではありません。


今また状況は変わろうとしています。


地元業者が、大手メーカーの受注生産頼みだった生産体制を見直し自社ブランドを確立するべく奮闘。


長年のグラブ作りで培われた高い製造技術を活かして高品質・高デザインの製品を生み出し、なかには積極的に世界展開を行っているところもあります。


大量生産品ではなく使い手が自分に合った仕様のグラブを個別に注文する、いわゆるオーダーメイドの需要が高まってきていることも、それに応えるだけの技術力を持っているからこそ歓迎すべき流れとなりました。


また、グラブ職人としての独立開業を目指す若者が弟子入りを志願したり、一度は別の道に進んだ家族が戻ってきたりといった若い芽が育っていく展望も、地元業者においてここ数年再び見え始めています。


三宅町では地元のPRの甲斐があってか、2015年から町の業者の作るグラブをふるさと納税の返礼品にしたところ年間数百人がそれを求めるなど、土地の特産品としての認知度も着実に上がりつつあるようです。






まとめ~今年でちょうど100年目~


まとめ~今年でちょうど100年目~


いかがでしたでしょうか。


今回は奈良県が誇る地場産業としての野球グラブ作りについて、三宅町における歴史を中心に見ていきました。


奈良県内で野球グラブ生産が始まった1921年から2021年で100周年を迎えました。


この先の未来を明るく照らすことができるかどうか、今がとても大切な節目。


ただ土地に根づいた伝統的な産業というだけではなく新しい風の予感も確かにあり、今後が非常に楽しみですね。





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  • 担当者:古川真史

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