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担当者:古川真史
【奈良に住んで20年】奈良を誰よりも愛し続ける奈良ヲタク。人気グルメから人口や歴史、鹿の生息数。何でも答えます。最近は大仏プリン推し。
海無し県なのに貝のボタン?日本一の貝ボタンは奈良県にあった
海に面することが無く、物流の発展までは新鮮な海産物があまり流通することも無かった奈良県。
しかし、奈良県が貝を原料とした貝ボタンの生産が日本一だと知る人は少ないでしょう。
そんな日本一の町「川西町」の貝ボタンの歴史を紐解きましょう。
奈良県がトップシェアを誇る地場産業「貝ボタン」の歴史とは?
近年は衣服で使われるボタンと言えば加工が容易な合成樹脂が大半を占めています。
しかし、合成樹脂が流通するまでのボタンといえば天然素材が主流で、木や金属、水牛の角、そして貝が原料として使われました。
日本では時代が明治になる頃、和服から洋服に推移する中で当初のボタンは輸入に頼っていました。
日本のボタン製造技術は明治中期の1887年(明治20年)ごろ、ドイツ人技師の指導で神戸に伝わったのが最初だと言われています。
そこから10年ほどで淡路島や大阪の河内に伝わり、明治後期の1905年(明治38年)には奈良県の川西町にも伝わったとされています。
では、なぜ海の無い奈良県で貝ボタンが作られているのか?という疑問を持つでしょう。
川西町は大阪へと繋がる大和川と3つの支流が交わる特殊な地域であったため、船による大阪との水運が盛んな地域でした。
大阪と結ぶ集散地として発展していたこともあり、物資だけでなく情報交換も頻繁に行われていたことが予想されます。
奈良県は江戸時代から綿加工業が農家で盛んな地域でしたが、品質改良の不十分さや他府県での生産が成長するなどの理由で衰退、明治中期頃には川西町でも行われていた木綿織物や養蚕業といった産業が衰退し、農家は苦境に立たされていました。
そこで、貝ボタンに使われる原料は主に南太平洋から輸入された貝であったこともあり、海が近いかどうかはそれほど問題ではなかたっため、大和川を利用して貝を運び、農家の副業として貝ボタン製造がはじまります。
貝ボタン産業を急成長させた大正~昭和
農閑期の家内工業として始まった貝ボタンの製造ですが、洋服の普及が十分ではなかったために貝ボタンの国内需要が少なく、2戸の業者で製造された貝ボタンは国外へと輸出されていました。
その後、第一次世界大戦により国際的貿易ルートが混乱し、川西町の貝ボタンも一時大きな打撃を受けることになります。
しかし、国際的貿易ルートが回復すると同時に輸出が回復、大戦中であった大正初期の1914年(大正3年)には業者数が50戸、職工数349名にまで拡大しました。
川西町の当時を知る人は「勉強より貝ボタン製造の手伝いをしている時間が長かった」と話すほど、川西町全体が貝ボタン製造に沸いていたことが良く分かります。
その後、昭和に入っても依然として貝ボタン産業は好調が続き、昭和20年代~30年代ごろは最盛期で400世帯のうち300世帯ぐらいは貝ボタンの仕事をしていました。
この頃は一軒で全ての製造工程を行うのではなく、ぬき屋・穴あけ屋・磨き屋など工程ごとに分業で行い、町全体が貝ボタン工場のようになっていました。
現在の川西町でも見られますが、ボタンを抜いたあとの穴あきの貝殻や割れたり傷が入って使い物にならない貝ボタンの元が道端に転がっているのが当たり前でした。
これらは約半世紀に及ぶ貝ボタンブームの名残とも言えます。
合成樹脂の台頭から現在まで
1964年(昭和40年)頃になると、現在の主流となっている合成樹脂(ポリエステル)のボタンが登場します。
安価に大量生産が可能な合成樹脂ボタンが流通し始めると、貝ボタンのどんどんとシェアを奪っていきます。
さらにバブルの崩壊による景気の低迷が追い打ちとなり、卸売業者や消費者の志向は質より量へと変化したことで、高価な貝ボタンは安価な合成樹脂ボタンへと置き換えられることになります。
この頃には川西町の貝ボタン産業は受注の減少により売上は低下、後継者不足なども大きな要因となって廃業する業者が後を絶たない状況が続きます。
最盛期には川西町内の過半数以上の世帯が貝ボタンに携わっていたものの、現在では川西町全体でも10軒程度に減少しました。
現在の貝ボタン
厳しい状況下にありながら、昔からの製造技術に新しい技術開発も積極的に行い、新しい商品の開発や様々な顧客ニーズへの対応を実現しています。
近年では天然素材がエコロジーである点や本物志向による貝ボタンの魅力が再認識されることもあり、世界のトップブランドも奈良の貝ボタンを認めています。
特にビジネスシーンでは高級ワイシャツやブラウス、スーツなどに貝ボタンが採用されることが多く、奈良の貝ボタンが日本のシェアを50%以上占めています。
もしかすると、あなたが着ている服にも、奈良の川西町で作られた貝ボタンが付けられているかもしれませんね。
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担当者:古川真史
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