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【弥生時代に卑弥呼は奈良にいた?】邪馬台国畿内説&九州説を解説

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卑弥呼が奈良にいたかも?邪馬台国畿内説&九州説を軽く紹介


卑弥呼が奈良にいたかも?邪馬台国畿内説&九州説を軽く紹介


歴史上にはまだまだわからない謎がいっぱい存在します。


なかでも特に奈良に関わりがある「歴史の謎」の代表格は「邪馬台国の謎」ではないでしょうか。


小中学校の社会や歴史の時間にも習った、女王卑弥呼がいる邪馬台国。


邪馬台国のあった場所は、九州説や畿内説など今でも学者の間でさまざまな議論がなされているのはご存知のところでしょう。


今回は、邪馬台国と弥生時代について、代表的な邪馬台国論争の説についての簡単な説明と、畿内説に関連する奈良県内の遺跡についてシンプルかつカンタンに解説します。





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邪馬台国と弥生時代


邪馬台国と弥生時代


まずは日本の前身となる国のような集合体が存在していたことが文献の中で確認されるのは、中国の前漢王朝の歴史書「『漢書」地理誌」の中で「倭」と言う名で記録されているのが、現存する資料の中での最初です。


これが西暦で言えば紀元前100年頃、中国は「漢王朝」の時代です。


当時倭国は100以上の国に分立して存在していたとされています。


そして時代で言えば弥生時代。


歴史の授業では稲作が始まり、灌漑施設や環濠集落ができたことや、食物を貯蔵できるようになったことから貧富の差が生じ、争いが絶えない時代となっていました。


弥生時代のものとされる数々の遺跡からは、鉄製を含む数種類の武器が多く出土されていることや、敵襲にそなえた設備が残されていることから、争いが多かったことを表しています。


※ちなみにこの時代の環濠集落として、奈良県には鍵・唐古遺跡が残っています。


「『漢書』地理誌」以降の中国の歴史書にもこれ以降たびたび登場し、倭が後漢より金印を授かったことなどが記されています。


※これが昔、歴史の時間に習った「漢倭奴国王」の文言が彫り入れられた金印ですね。


そんな争いの絶えない時代、邪馬台国内でも大乱が起きていたことがわかっています。


当時、邪馬台国は30ほどの小さい国の集合体として存在していました。


しかしこの時代、邪馬台国内でも例にもれず小さい国と国同士の争いが常に起こり、これではいけないと村長たちが相談し、1人の女を擁立することにした、この女王が卑弥呼、という話は皆さんも子供の頃に習ったことでしょう。


邪馬台国と卑弥呼の話は、中国の「魏志倭人伝」に書かれており、卑弥呼は鬼道(呪術)を用いて人を支配し、政治は弟が補佐していたこと、独身で高齢であること、柵や櫓に守られた宮殿に住みめったに人々の前に姿を見せることがないことなどが記されています。


卑弥呼が統治していた時代には、魏に使いを送り、魏の皇帝から「親魏倭王」と言う称号と金印を賜ったことや、多数の銅鏡が送られたことがわかっています。


そして卑弥呼の死後、再び国が荒れ、争いが絶えなくなってしまいましたが、卑弥呼の親族である13歳の少女壱与を女王としたところ争いが治まったとされています。


当時倭国では、文字が存在しなかったため、倭国自身が当時の様子などを記した書物は存在せず、文献としての記録は中国の歴史書が頼りとなっている状態です。が、中国側にしてみれば統治国家として存在していなかった倭国に関する記述はほんの少し。


しかもかなり曖昧な記述しか残っていないため、肝心なところが分かりません。


「魏志倭人伝」には魏から倭国にどうやって行けばいいのかが書かれていますが、その書き方が近畿地方とも九州地方とも読める書き方であったため、邪馬台国の場所については長く論争がなされています。






邪馬台国がどこにあったのかに関する説について


邪馬台国がどこにあったのかに関する説について


「邪馬台国がどこにあったか」については、古くは江戸時代からさまざまな学者が研究を重ねており、具体的な場所については未だにはっきりしたことが分かりません。


長く進められた研究の中で特に有力な説は九州説と畿内説とされています。


1.九州説

九州説には福岡県、大分県、宮崎県など諸説あげられています。


さらに九州説にはその後のヤマト王権の成立についても複数の説があり、邪馬台国が畿内に移動してヤマト王権になったとする説と、少数の者が畿内に勢力を伸ばしたとする説、畿内のヤマト王権が邪馬台国を平定した説などがあります。


海に面している上、伊都国など当時邪馬台国と同時期に存在するとされていた国などの国々との位置関係、歴史書の記述などから推測すると九州説の可能性が高いという声があがっています。


そのほか、福岡県久留米市にある祇園山古墳に卑弥呼のものと思われる副葬品があること、などがその理由とされています。


ですが、「魏志倭人伝」の魏から邪馬台国までの行程に関する記述から場所を推測した場合、距離に関する記述で合わない点が出てきます。


2.畿内説

畿内説はズバリ、「邪馬台国は奈良県にあった」とされる説ですが、特に有力とされているのは桜井市にある巻向遺跡や箸墓古墳の存在や、機内を中心に大量の銅鏡が各所にて発見されており、特に三角縁神獣鏡が分布していることなどが根拠として上がっています。


また、纏向遺跡にて卑弥呼が生存していた時期のものと思われる桃の種が出土したことも、畿内説をさらに補強することとなりました。


なぜ桃の種が重要かというと桃は当時、神聖な果物とされており、祭祀に用いられていたと考えられていることからです。


つまり、「この時代のこの場所に桃があったのは、ここで祭祀が行われていたということになり、祭祀が行われていた場所に卑弥呼がいたのではないかと推測できます。


しかし、卑弥呼が魏からもらったとされる銅鏡はここでは発見されていないこと、「魏志倭人伝」の記述にある魏から邪馬台国までの方角を基準にすると矛盾点が出てくるところを突かれると、とても痛いです。






畿内説の根拠とされる纏向遺跡とは


畿内説の根拠とされる纏向遺跡とは


巻向遺跡は奈良県桜井市にあり、日本最古の神社とも言われる大神神社の御神体とされる三輪山の北西に広がる、大型の建物跡が残されている遺跡です。


およそ3世紀の初めに形成されたとされる大集落で、卑弥呼の生きた時代と一致します。


邪馬台国論争では吉野ケ里遺跡の発見から九州説が有力とされていましたが、2009年にこの纏向遺跡で大型建物群が発見されたこと、2018年に発掘された先述の桃の種が当時のものだったことが分かってからは畿内説が有力と言われるようになりました。


大型建物群の発見が重要なのは、建物群の一部に高床式のものがあること(貯蔵庫?)、発掘された出土品の中に全国の土器や土木工事に用いる工具が多く発見されているのに対して、農業系の遺跡が出土されないことから、この集落は農業を営んでいない集落であることが考えられたからです。


これが何を示すかというと、この集落はいわゆる都市機能を持つ初期のヤマト政権の中心地であった可能性が高いのではないかということです。


つまりこの集落には、農業を営まなくても、収穫された農作物や穀物を献上される身分の者、すなわち有力者がいたことを示します。


そのほか、魏の皇帝からもらったと思われる年代の銅鏡が100枚近く発見されていることや、卑弥呼のいた時代につくられたとされる初期の前方後円墳である箸墓古墳が近くにあることがあげられます。


この時代、他に有力者がいたとは考えられないようで、研究者の間でも箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性が高いと言われています。


纏向遺跡を観に行ってみると、複数の建物跡が見られます。


解説が書かれた立て看板もありますので、実際の建物跡を見ながらその時代をイメージしてみることもできそうですね。






【弥生時代に卑弥呼は奈良にいた?】まとめ


【弥生時代に卑弥呼は奈良にいた?】まとめ


邪馬台国が実際のところどこにあり、卑弥呼が実際どこにいたのか歴史ファンとして純粋に気になりますが、詳しい研究の結果を楽しみに待つこととしたいと思います。


とりあえず今は「ひょっとしたらここに卑弥呼がいたかもしれない♬」と思いながら遺跡巡りをしてみたらそれはそれで楽しいのではないでしょうか。


興味のある方はぜひ皆さんも遺跡巡りしてみてはいかがでしょう。




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